管理社会と監視社会
日本は恥の文化だという言葉を耳にする。
周りから監視される社会で互いに抑制し合っている。 管理社会と監視社会については以前話したが、大きく異なる。
個人的に日本は監視社会で、中国は管理社会だと思う。
中国では国民を監視し、その行動を把握しコントロールしている。 実際に動きを制御するわけではなく、入れるお店や借りれる金額などを制御する。
表には出てこないが、政策や規制などにも影響はあるのではないだろうか。
中国のこういった状況を見ると、「怖。」という人が多い。
少なくともその恐怖の感情は理解できるが、顔で全ての情報が筒抜けであることが怖いならば、グーグルやアップルに対しても怖いと感じるべきだろう。
彼らは私たちのサポート目的ではあるが、実質、私たちの行動はレコメンドに誘導されコントロールにも近いものになっている。
より健康により正しく生きようとするならば、人間は管理されるべきだ。 お酒を大量に購入して、私自身の信用スコアが下がるのであれば、私はお酒を控える。国家の目的と人間としての生き方が近いのであれば、ある意味ではディストピアも幸福な1つの形なのかもしれない。
例えばタバコの利用が目に見えた害として、自分の信用を下げるのであれば、多くの人はタバコを吸わなくなるのではないかな。
アホの抑制のために、スコアリングの表面上のルールは公開して欲しいと思う。